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つばた町民八朔まつりで『情熱のつ~バーガー』が復活!!

津幡町の夏の3大風物詩といえば、河合谷の木窪大滝名物「流しそうめん」
河北潟干拓地の「ひまわり村」、そして、明日8月3日(土)に
同町住吉公園で開催される「つばた町民八朔まつり」ですね。

展望台から眺めるひまわり村は最高! ひまわり村の迷路で楽しむ!

その八朔まつりでは、今年3月に開催された「つばたまいもんウォーク2013」で
大好評だった幻の『つ~バーガー』が復活します!!
今回はなんと!!5種類もの創作『つ~バーガー』が登場するそうですよ♪

幻の『つ~バーガー』が登場するつばた町民八朔まつり

津幡のご当地グルメとして『つ~バーガー』を定着させようと頑張ってる
町商工会青年部のブログは、必見の価値ありです。
みなさんも応援してくださいね(^o^)

『つ~バーガー』に協賛するおまん小豆の専門店『おまん茶屋』 八朔まつりで店頭販売される『おまん小豆アイス』

八朔まつりの会場となる住吉公園の近くには、『つ~バーガー』に協賛する
町特産のおまん小豆の専門店『おまん茶屋』があります。
当日はおまん小豆アイスを店頭販売し、午後6時まで延長営業するそうです。
ぜひ立ち寄ってくださいね(^o^)
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テーマ : ☆北陸(富山・石川・福井)の情報☆
ジャンル : 地域情報

義仲関連の史跡めぐり in 富山

2015年春の北陸新幹線開通に向けて、大河ドラマ「義仲と巴」誘致キャンペーンも
いよいよ佳境に入ってきましたね♪

先日、つばたふるさと探偵団の県外視察研修で、
義仲関連の史跡を中心に富山方面へ行ってきました。
今回の研修では、倶利伽羅合戦に向かう義仲軍の足取りを追いました。

道の駅「倶利伽羅源平の郷・竹橋口」を出発! 刈安公民館の吉田館長が車中で挨拶

最初に訪れたのは、義仲軍が宿営したことを伝える石碑が立つ
「金屋西野館跡」(富山市金屋)です。
昔から「カンノマチ」と呼ばれる同地区は、鎌倉時代から室町時代にかけて
鋳物づくりで栄え、その集落跡「金屋南遺跡」が発見されています。

「金屋西野館跡」で記念撮影 「金屋南遺跡」でガイドする金屋村郷土史家の村澤さん

金屋村郷土史家の村澤清人さんによると、同地区など
古くは呉服山(ごふくやま)と呼ばれた呉羽山麓一帯で、
義仲軍は刀剣武器や軍馬、兵糧、医薬などの軍需品を調達し、
倶利伽羅に向かったとされています。

義仲軍が宿営したことを伝える「金屋西野館跡」石碑 義仲軍が宿営したと伝えられる場所

「金屋西野館跡」は、江戸中期の加賀藩郷頭役を務めた村澤長助の屋敷跡で、
その先祖が義仲の幕僚であり、村澤さんはその子孫なんだそうです。
義仲軍が宿営したと伝えられる場所は、残念ながら造成で畑地になっていましたが、
村澤さんが子どもの頃は小山として残っていたそうです。

また、道端や空き地などでよく見かけるヤスリ草(トクサ)ですが、
金屋村では義仲軍が宿営時に植えたと伝えられ、古くから
ヤスリ草で刀や剣を砥ぎ、時には止血薬として使われてきた薬草なんだそうです。

義仲軍が宿営時に植えたと伝えられるヤスリ草 前田利家が佐々成政を攻めるために築城された「安田城跡」資料館"

この「金屋西野館跡」からほど近いところに、「安田城跡」があります。
1585(天正13)年に前田利家が、富山城に立てこもる宿敵、
佐々成政を攻めるために築城されたとされています。
復元整備された城郭広場には、資料館が併設され、出土品などが展示されています。

次に、呉羽山麓の「丸山八幡社」(富山市安養坊)を訪れました。
越前・加賀へと攻め込んだ平家軍が越中に進軍するのを阻止しようと、
義仲が送り込んだ先遣隊の今井兼平が、般若野合戦を前に、
呉羽山に陣を敷いた際に戦勝祈願をしたとされる神社です。
義仲と最期まで行動を共にした今井兼平は、
巴の兄であり、義仲の乳母兄弟でもありました。

般若野合戦を前に、今井兼平が戦勝祈願をしたとされる「丸山八幡社」 般若野合戦を前に、今井兼平が戦勝祈願をしたとされる「丸山八幡社」

同神社近くには、義仲軍が軍馬で川を渡ったことから
名付けられたという「馬渡(うまわたり)川」が流れています。

続いて、同神社に隣接する「富山市民俗資料館」を見学しました。
江戸時代後期に建てられた茅葺きの農家を移築し再現した資料館は、
当時の風情がそのまま残され、必見の価値ありです。
館内には昔の生活用具や祭礼用具、農具などが展示され、
玄関脇には馬小屋、屋根裏ではかつて養蚕が行われていました。

江戸時代後期に建てられた茅葺きの農家を移築し再現した「富山市民俗資料館」 「富山市民俗資料館」内の囲炉裏があるかつての台所

次に、同資料館から呉羽山頂に続く道を進み、
「白鳥城址」の石碑が立つ城山公園に着きました。
般若野合戦を前に、今井兼平が陣を敷いたとされる山頂からは、
富山平野を一望でき、軍事上の要衝だったことがうかがえます。

般若野合戦を前に、今井兼平が陣を敷いたとされる「白鳥城址」 呉羽山頂「白鳥城址」から一望できる富山平野

この後は、待望のランチタイムです!!
「白鳥城址」の近くにある呉羽ハイツ(富山市吉作)で、
美味しく☆楽しく☆みんなでランチをいただきました。
みんなで楽しい☆ランチタイム in 呉羽ハイツ お腹がいっぱいになったランチメニューの数々

お腹がいっぱいになったところで、午後は高岡市常国に移動し、
常国旧蹟保存会の窪田さんたちの案内で、「弓の清水(しょうず)」と
「般若野古戦場跡」、そして「常国大悲寺観音堂」を訪れました。

義仲の放った矢がささった所から、清水が湧き出たという「弓の清水」 「平成の名水百選」にも選定されている「弓の清水」

「弓の清水」には、倶利伽羅を目指して進軍中の兵士たちが
のどの渇きを訴えたため、義仲ががけの下に弓で矢を放ったところ、
そこから清水が湧き出たという伝説が残っています。
現在も枯れることなく清水が湧き出ており、「平成の名水百選」にも選定されています。

倶利伽羅合戦を前に、今井兼平軍が平盛俊軍を破った「般若野古戦場跡」石碑 「般若野古戦場跡」入口に立つ義仲像

同清水から少し登った山頂に、倶利伽羅合戦の前哨戦ともいえる般若野合戦で、
今井兼平軍が平盛俊軍を破った古戦場跡の石碑が立っています。
この戦いで平盛俊軍は退却し、その頃、六渡寺(射水市)に宿営していた義仲軍は、
ここで今井軍と合流し、倶利伽羅を目指します。
その際に、前述の「弓の清水」を義仲が発見したとされています。

義仲の守り観音が祀られた「常国大悲寺観音堂」 33年に1度開扉される観音菩薩

さらに、近くには義仲ゆかりの「常国大悲寺観音堂」があります。
義仲がお守りとして持参していた観音を祀ったお堂は、
元々般若野古戦場の山頂にありましたが、後にここへ移したんだそうです。
ちなみに、33年に1度開扉される法要で、この観音菩薩を見ることができるそうです。

義仲の守り観音を祀ったお堂があった「般若野古戦場跡」山頂 今井兼平が戦勝祈願をしたとされる「移田八幡宮」

次は、高岡市中田の移田(いかだ)八幡宮に立ち寄り、
同神社の由緒によると、今井兼平が戦勝祈願をしたとされています。

高岡を後にし、最後に砺波市の義仲ゆかりの地を訪ねました。
義仲軍が般若野から倶利伽羅へ進軍中に、昼食を取ったとされる場所
「午飯岡(ひるがおか)の碑」(砺波市小島)、その近くには、
義仲軍が戦勝祈願をしたとされる川田八幡宮(砺波市高波)があります。

義仲軍が般若野から倶利伽羅へ進軍中に、昼食を取ったとされる「午飯岡の碑」 義仲軍が戦勝祈願をしたとされる川田八幡宮

この日は真夏を思わせるような暑さでしたが、倶利伽羅合戦を前に
義仲軍がたどった足跡を知ることができ、非常に有意義な一日でした。

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座学研修会「金箔の世界」

先日の座学研修会は、金箔師の塚本守利さんを講師に迎え、「金箔の世界」についてのお話を聴きました。
津幡町北中条に工房を構える「金箔のツカモト」は、1907(明治40)年に初代が京都にて
金箔打ち職人となってから現在まで、和紙を用いて作る純金箔の伝統技を継承されています。

講師の金箔師・塚本守利さん 「金箔の世界」についての話を聴く会員たち

古代エジプトで発祥したとされる金箔は、イタリア・フランス・ドイツを中心とした
「ヨーロッパ美術文化」として発展した純金箔と、インド・中国・タイ・朝鮮を経て
日本に伝わった「仏教文化」とともに発展した純金箔とがあるそうです。
『日本書記』によると、749(天平21)年の東大寺建立時に純金箔が使われていることから、
この頃には既にその製造技術があったと思われます。

石川県での箔打ちは、1593(文禄2)年に加賀藩初代藩主・前田利家が
豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、
七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つように命じたのが始まりとされています。
その後、徳川幕府の時代に入ると、金箔・銀箔の生産は厳しく統制され、
江戸と京都以外の土地で禁じられるようになりました。

1808(文化5)年、焼失した金沢城二の丸御殿を再興するため、
大量の金箔が必要となり、幕府から許可を得た加賀藩は、
金沢安江町の箔屋佐助に純金箔の調達を命じ、佐助は京都から箔打ち職人を呼び寄せました。
これを機に、金沢の町人の間に製箔業を確立しようという動きが起こり、
1864(元治元)年に幕府から「加賀藩でも金箔を作ってもよい」という許可を得ると、
江戸箔売りさばきをしてきた能登屋佐助たちは、公然と純金箔を作れるようになりました。

1868(明治元)年、明治維新による江戸幕府の崩壊によって江戸箔は完全に途絶え、
一切の制限がなくなったことから、金沢箔が台頭することになりました。
幕末に佐助を含めて115人しかいなかった箔打ち職人は、1,500人までになります。
1902(明治35)年に箔職人の三浦彦太郎(同町清水出身)がドイツから導入した打箔機によって、
金沢では真鋳(しんちゅう)箔や錫(すず)箔を主に製造するようになると、
手打ち職人は滋賀県や京都に移住していきました。

第一次世界大戦の戦災で、それまでヨーロッパ最大の箔産地であったドイツが壊滅的打撃をうけ、
金沢の箔産業は飛躍的に発展します。
しかし、1940(昭和15)年に第二次世界大戦で再び金の使用が制限され、純金箔が作れなくなる中、
軍需品として真鋳箔・錫箔を作るために、職人が金沢に集められました。
この時の移住職人と家族従事者を含め、3,000人の職人数だったといわれています。
戦争が終わり、1953(昭和28)年に金の使用制限が解かれ、純金箔が自由に作れるようになると、
絶対的職人数がいた石川県が純金箔の一大産地になり、さらに、仏壇や蒔絵など他の伝統工芸にも支えられ、
その技術は脈々と受け継がれて現在の金箔王国の地位が築かれました。

1971(昭和46)年に金の価格自由化と同時にやって来たオイルショックで、
金地金の高騰を招き、純金箔が品不足となります。
そんな中、硫酸紙に化学薬品を塗って箔打ち紙として大量生産できる「断切り金箔」が生まれ、
これに対して昔から和紙を用いて作る純金箔を「縁付け金箔」と呼んで区別するようになりました。

講師の金箔師・塚本守利さん 塚本さんが製作した「義仲像」

塚本さんは現在、この「縁付け金箔」を打てる希少な金箔師として、
文化財の修復等にはなくてはならない存在として評価を受けると同時に、
創造性豊かな「金箔」を活用したオリジナル作品の開発を日夜進めているそうです。

金箔シールを使ったプチ作品 金箔シールと下絵サンプル

金箔の歴史を中心に塚本さんのお話を聴いた後、金箔シールを使った工芸体験が予定されていましたが、
残念ながら時間がなくなってしまいました(^▽^;)
この金箔シールを使うと、だれでも簡単に金箔貼り体験ができるそうですよ♪
本物の「純金箔」作りを見たい方は、気軽に工房に来てくださいとのことでした(^o^)

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大野湊神社の大絵馬

毎日、初夏を思わせるような良いお天気が続きますね♪
昨日、金沢の大野湊神社に行ってきました。
当ブログの義仲講座④「倶利伽羅合戦後~入京まで」でも紹介しましたが、
同神社には倶利伽羅源平合戦を描いた大絵馬(幅14.33メートル)が残っています。

日本一(幅14.33メートル)といわれる大野湊神社の大絵馬 日本一(幅14.33メートル)といわれる大野湊神社の大絵馬

日本一といわれるこの大絵馬には、左端に「安政二年乙卯歳六十二翁景栄筆」、
右端に「奉納御寶前 宮腰氏子中」の銘文が記されています。
1855(安政2)年、加賀藩のお抱え絵師・松波景栄の作で、
『源平盛衰記』を題材にした各場面が右から左へと描かれています。

埴生護国八幡宮で義仲が戦勝祈願をした場面 火牛の計が描かれた倶利伽羅源平合戦の場面

絵馬は右から埴生護国八幡宮で義仲が戦勝祈願をした場面で始まり、
次に火牛の計が描かれた倶利伽羅源平合戦、そして、当時の大野湊神社や
同神社がある宮腰(現在の金石町)の街並みと港の賑わいの場面へと続いています。
ちなみに、この絵馬は当時の宮腰の氏子たちが寄進したそうですが、
北前船がもたらした当時の宮腰の経済力や財力がうかがえます。

当時の大野湊神社や宮腰(現在の金石町)の街並みと港の賑わいの場面 大絵馬が飾られた大野湊神社旧拝殿

1300年の歴史を誇る同神社は、加賀藩前田家の歴代藩主と繋がりが深く、
社宝の文化財を数多く所有しています。
その一つである大絵馬が飾られた旧拝殿は、1663(寛文3)年建立と伝えられ、
絵馬ともに金沢市文化財に指定されています。

大野湊神社の鳥居 大野湊神社の拝殿

あいにく見逃しちゃいましたが、毎年5月15日の春祭では、
境内の能舞台にて、約400年続く神事能が奉納されるそうです。
来年はぜひ、見に行きたいですね♪

大野湊神社の神馬 静寂に包まれた大野湊神社境内

鳥居をくぐると、真っ白な神馬が出迎えてくれる境内は木々に覆われ、
金沢市内の町中にもかかわらず、静寂に包まれていました。
境内からは裏手の大野湊緑地公園に続く遊歩道が伸び、その先には
河北潟干拓に尽力した銭屋五兵衛記念館があり、のんびりと散歩するにはもってこいの空間でした。

大野湊神社裏手の大野湊緑地公園 大野湊神社裏手の大野湊緑地公園

その日は事前連絡せずに行ったにもかかわらず、
貴重な大絵馬を快く拝観させていただき、本当にありがとうございました。
大絵馬を見たい方は、事前に電話で連絡して行ってくださいね(^o^)
◆大野湊神社:076-267-0522

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季節の山菜が味わえる、おまん小豆の茶屋『笑み』

おまん小豆の茶屋『笑み』オープンから1ヶ月半あまり、
同店がある津幡町住吉公園周辺には喫茶店などがないことから、
地域住民の交流の場としてすっかり定着しているようです。

町観光ボランティアガイドとしても活躍中の同店オーナー寺西さんは、
おまん小豆で町おこし活動に取り組み始めてから早10年!
念願の茶屋を開いた「平成のおまんさん」は、今後もよりいっそう
おまん小豆をアピールしていきたいと、熱く語ってくれました。

源平の旗をイメージした源平おにぎり ボリューム満点のおまん小豆ぜんざい

この日は、「源平おにぎり」と「おまん小豆ぜんざい」をいただきました(^o^)
源平おにぎりは、おまん小豆が採れる倶利伽羅の源平合戦にちなんだ紅白のおにぎりで、
おまん小豆入りが平家の赤旗、マコモ入りが源氏の白旗をイメージしています。
ぜんざいには、地元で定評がある小泉菓子舗の大きな丸餅が入っており、ボリューム満点でした。

源平おにぎりには、旬の地物野菜の煮物が付いており、その日はタケノコとワラビ、インゲンの炊き合わせでした。
タケノコとワラビは倶利伽羅の相窪で採れたもので、ワラビは先日、寺西さん自身が採ってきたんだそうです。

倶利伽羅地区相窪産タケノコとワラビ、インゲンの炊き合わせ 倶利伽羅地区相窪産ウドの味噌漬け

相窪出身の寺西さんはこの時期、自分の庭のように知り尽くした相窪の山へ山菜採りに出かけ、
今しか味わえない山菜を使った一品に腕をふるい、毎日、日替わりで出しているそうです。
その自慢の「ワラビの昆布締め」と「ウドの味噌漬け」もいただきましたが、
どちらも素材の味を生かした素朴な一品でした(^o^)

1パック300円の源平おにぎり 1個200円のおまん小豆シフォンケーキ

この「源平おにぎり」、テイクアウトも出来るんですよ♪
おまん小豆とマコモのおにぎり1個ずつに、寺西さんが丹精込めて作ったお漬物が付いて、1パック300円です。
大人気の「おまん小豆シフォンケーキ」も1個(200円)からお持ち帰り出来るんで、
気軽に買いに来てくださいとのことでした。
また、夏に向けて、おまん小豆の冷白玉ぜんざいと水ようかんを試作中だそうです。

黄色の可憐な花をつけるおまん小豆 収穫したおまん小豆

最後に、『笑み』からの耳寄り情報です!
おまん小豆は7月に種を蒔き、10月に収穫の時期を迎えますが、
その栽培講習会を6月下旬に開催し、種も無料配布するそうです。
「おまん小豆を栽培してみたい!」という方は、ぜひ参加してくださいね☆

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〒929-0393
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