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座学研修会「金箔の世界」

先日の座学研修会は、金箔師の塚本守利さんを講師に迎え、「金箔の世界」についてのお話を聴きました。
津幡町北中条に工房を構える「金箔のツカモト」は、1907(明治40)年に初代が京都にて
金箔打ち職人となってから現在まで、和紙を用いて作る純金箔の伝統技を継承されています。

講師の金箔師・塚本守利さん 「金箔の世界」についての話を聴く会員たち

古代エジプトで発祥したとされる金箔は、イタリア・フランス・ドイツを中心とした
「ヨーロッパ美術文化」として発展した純金箔と、インド・中国・タイ・朝鮮を経て
日本に伝わった「仏教文化」とともに発展した純金箔とがあるそうです。
『日本書記』によると、749(天平21)年の東大寺建立時に純金箔が使われていることから、
この頃には既にその製造技術があったと思われます。

石川県での箔打ちは、1593(文禄2)年に加賀藩初代藩主・前田利家が
豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、
七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つように命じたのが始まりとされています。
その後、徳川幕府の時代に入ると、金箔・銀箔の生産は厳しく統制され、
江戸と京都以外の土地で禁じられるようになりました。

1808(文化5)年、焼失した金沢城二の丸御殿を再興するため、
大量の金箔が必要となり、幕府から許可を得た加賀藩は、
金沢安江町の箔屋佐助に純金箔の調達を命じ、佐助は京都から箔打ち職人を呼び寄せました。
これを機に、金沢の町人の間に製箔業を確立しようという動きが起こり、
1864(元治元)年に幕府から「加賀藩でも金箔を作ってもよい」という許可を得ると、
江戸箔売りさばきをしてきた能登屋佐助たちは、公然と純金箔を作れるようになりました。

1868(明治元)年、明治維新による江戸幕府の崩壊によって江戸箔は完全に途絶え、
一切の制限がなくなったことから、金沢箔が台頭することになりました。
幕末に佐助を含めて115人しかいなかった箔打ち職人は、1,500人までになります。
1902(明治35)年に箔職人の三浦彦太郎(同町清水出身)がドイツから導入した打箔機によって、
金沢では真鋳(しんちゅう)箔や錫(すず)箔を主に製造するようになると、
手打ち職人は滋賀県や京都に移住していきました。

第一次世界大戦の戦災で、それまでヨーロッパ最大の箔産地であったドイツが壊滅的打撃をうけ、
金沢の箔産業は飛躍的に発展します。
しかし、1940(昭和15)年に第二次世界大戦で再び金の使用が制限され、純金箔が作れなくなる中、
軍需品として真鋳箔・錫箔を作るために、職人が金沢に集められました。
この時の移住職人と家族従事者を含め、3,000人の職人数だったといわれています。
戦争が終わり、1953(昭和28)年に金の使用制限が解かれ、純金箔が自由に作れるようになると、
絶対的職人数がいた石川県が純金箔の一大産地になり、さらに、仏壇や蒔絵など他の伝統工芸にも支えられ、
その技術は脈々と受け継がれて現在の金箔王国の地位が築かれました。

1971(昭和46)年に金の価格自由化と同時にやって来たオイルショックで、
金地金の高騰を招き、純金箔が品不足となります。
そんな中、硫酸紙に化学薬品を塗って箔打ち紙として大量生産できる「断切り金箔」が生まれ、
これに対して昔から和紙を用いて作る純金箔を「縁付け金箔」と呼んで区別するようになりました。

講師の金箔師・塚本守利さん 塚本さんが製作した「義仲像」

塚本さんは現在、この「縁付け金箔」を打てる希少な金箔師として、
文化財の修復等にはなくてはならない存在として評価を受けると同時に、
創造性豊かな「金箔」を活用したオリジナル作品の開発を日夜進めているそうです。

金箔シールを使ったプチ作品 金箔シールと下絵サンプル

金箔の歴史を中心に塚本さんのお話を聴いた後、金箔シールを使った工芸体験が予定されていましたが、
残念ながら時間がなくなってしまいました(^▽^;)
この金箔シールを使うと、だれでも簡単に金箔貼り体験ができるそうですよ♪
本物の「純金箔」作りを見たい方は、気軽に工房に来てくださいとのことでした(^o^)
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座学研修会「能・狂言について」

先日の座学研修会は、日本能楽協会会員の岩井嘉樹さんを講師に迎え、
日本の代表的伝統芸能『能』について勉強する機会を得ました。
岩井先生は宝生流シテ方としてご活躍され、
年12回の定期公演『加賀宝生能』に必ず出演されています。

能と聞けば、「敷居が高い」「格が高い」などと思われがちですが、
そのせいか、会場はちょっぴり緊張感に包まれていました。
「謡(うたい)と能が好きな酒屋のじいちゃん」と岩井先生が自己紹介されると、
会場からは笑いが起こり、一気に緊張がほぐれました。

ビデオを見ながら能・狂言について説明される岩井先生

最初に、10年前に岩井先生が舞われたビデオを見ながら、
能と狂言について分かりやすく説明していただきました。
能も狂言も、元々は祭りのアトラクションとして生まれ、
650年前までは庶民の間で楽しまれてきた大衆芸能でした。

能は、能面と装束をまとって舞うシテ方(主役)とワキ方(脇役)、
笛・小鼓・大鼓・太鼓の4つの楽器を担当する囃子方、
合唱を担当するコーラスグループから構成される、
オペラに近い総合的な舞台芸能です。
一方、狂言は能と同じ舞台を使いますが、囃子方とコーラスなしで、
主役と脇役がせりふのみのやり取りで物語を進める演劇です。

どちらも庶民の日常生活を題材として取り上げ、特に、
能は不倫や三角関係、心中などいった、現代のワイドショーで
取り上げられるような話題を題材にしています。
狂言は、もっぱらこっけい話を題材に取り上げ、
いわば漫才やコントに近いといえます。

大衆芸能として生まれた能は、室町時代以降、
歴代の権力者たちによって保護され、武家の教養として発展していきました。
歴史や神話、『平家物語』や『源氏物語』などの古典文学が
題材として扱われるようになりました。

足利義満や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も能を好みましたが、
特に、秀吉は熱狂的なファンで能を厚く保護しました。
自分の手柄話を題材にさせ、自分を主役にさせたほどです。
さらに、能役者のスポンサーになり、能楽界で秀吉は「神様」と崇められていたそうです。

前田利家も少なからず秀吉の影響を受け、加賀藩でも能が盛んになっていきました。
中でも、5代藩主前田綱紀の保護で、宝生流が金沢に根付き、
庶民にも謡や囃子が広まったのが、加賀宝生の始まりとされています。
専業の能役者に加えて、大工や左官などの職人たちも能をたしなみ、
いわゆる町役者が育っていきました。

このような歴史的風土から、金沢では今でも能が盛んです。
毎月第一日曜日、県能楽堂で開かれる定期公演『加賀宝生能』は、
チケット2,000円の低料金で能を楽しめます。
さらに、気軽に能楽の魅力に触れてもらうため、
7・8月の2ヶ月間、毎週土曜日に「観能の夕べ」が開かれます。
わずか1,000円で、能・狂言を各一番ずつ観ることができるので、
外国人など観光客も非常に多いそうです。

能楽には5つの流派があり、演目は全部で250曲ほどですが、
その内、北陸をテーマにした演目で一番有名なのは、
歌舞伎『勧進帳』でも知られる小松市「安宅の関」が舞台の『安宅』です。
義仲にまつわる演目として、実盛の最期を題材とする『実盛』は、
加賀市源平町「首洗いの池」が舞台となっています。

『実盛』を熱演する岩井先生 『実盛』を熱演する岩井先生

そして、倶利伽羅合戦を題材とした『巴』では、巴の霊が義仲との別れを再現し、
最期まで共にできなかったことを嘆き、僧に供養を願うという悲劇です。
この『巴』は、昨年、津幡町「シグナス観能の会」で上演され、大好評でした。
ちなみに、津幡町には第一線で活躍するプロの能楽師(ワキ方・笛)が2人いるそうです。

『実盛』を熱演する岩井先生

最後に、岩井先生による『実盛』が実演され、最後の山場の10分間を熱演していただきました。
かかとを付けて前進する「すり足」と足拍子で舞う姿は、力強く美しかったです。
岩井先生、今回は貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。

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歴史講座「なぜ津幡町は義仲なのか」

先日、津幡町井上公民館で歴史講座「なぜ津幡町は義仲なのか」が開かれました。
講師は、つばたふるさと探偵団の桑江朝英さんです。

講師の桑江朝英さん  DVD『義仲と巴』を上映

津幡町が制作したDVD『義仲と巴』が上映されました。
DVDでは、各地のゆかりの史跡を巡る「義仲と巴の物語」と、
NHK大河ドラマ誘致に向けた「津幡町の取り組み」が紹介されています。

では、なぜ津幡町は義仲なのか?

1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた源平合戦の舞台となったのが、倶利伽羅峠
その義仲率いる源氏軍を勝利に導いたとされる「火牛の計」の伝説が残るのが、河合谷の牛舞坊
そして、忘れてならないのが、源氏軍に加勢した津幡出身の勇敢な武士たちが、
都幡(津幡)小三郎隆家(つばた・こさぶろ・たかいえ)井家二郎範方(いのいえ・じろう・のりかた)
この壮絶なる戦いを描いたのが、倶利伽羅合戦図屏風(倶利伽羅神社所蔵)

大河ドラマ誘致推進キャラクター「よしなかくん」(左)と「ともえちゃん」(右) 大河ドラマ誘致推進キャラクター「火牛のカーくん」(左)と「火牛のモーちゃん」(右)

このように、津幡町は義仲との接点をアピールし、大河ドラマに「義仲と巴」の実現を目指しています。

ところで、同公民館がある井上地区は中世の井家荘域の北端の位置にあたり、
井家二郎範方はその南端の金沢市森本町辺の出身だそうです。
井家次郎範方一党17騎が平維盛軍と戦い、11度の戦闘をしかけた後、
根上の松まで追い詰められて壮絶な討ち死にをしたとされます。

同公民館の芝田悟館長によると、同講座の第2弾として、今秋に
松任・根上方面へ義仲ゆかりの地を訪ねるバス旅行を企画しているそうです。

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座学研修会「津幡の俳壇について」

先日、つばたふるさと探偵団の座学研修会が開かれました。今回のテーマは「津幡の俳壇について」です。
講師は長年、地元津幡町で俳句のすそ野を広げる活動に尽力されている中田風来先生です。

中田先生曰く、「俳句とは自分の思いを素直に詠み込む、その日にあったできごと、
喜びや悲しみ、感動を言葉につなぎ合わせていくだけで、誰にでも簡単に作れますよ。」

ここで、中田先生作の恋句を一句!  菖蒲の湯 滴るままに 抱かるる

講師の中田風来先生  つばたふるさと探偵団の座学研修会

俳人河合見風矢田我柳を生んだ風土から、津幡町民には俳句を親しむ人が多いそうです。

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