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歴史講座「まちのいいところ音楽再発見」

昨日、津幡町民大学講座「まちのいいところ音楽再発見」に参加しました。
つばたふるさと探偵団の川幡節子さんを講師に、かつての宿場町、
津幡宿の歴史について、当時の面影を残す場所を散策しました。
その後、弘願寺本堂で、日本を代表するギタリスト松尾俊介さんの
クラシックギターの演奏を楽しみました。

まず、津幡という地名の由来ですが、「津」は舟着場、「幡」は旗・幟(のぼり)という意味だそうです。
藩政時代の慶長2(1597)年、加賀藩主前田利家によって、
津幡4町(中央の清水、能登口の庄、越中口の津幡、加賀口の加賀爪)に対し、
市日(いちび=定期的に市を開く日)、伝馬(てんま=宿駅ごとに旅客や荷物を運ぶ馬)、
郡駅(ぐんえき=宿駅)の任務を与えられ、津幡宿が誕生し、宿場町として栄えました。
総勢2,000人の大行列だった加賀藩の参勤交代は、金沢から最初の宿駅、
津幡宿で、殿様は本陣に、家来は脇本陣に泊まりました。

川幡さんのガイドで、津幡城跡を背に、四ツ角交差点から出発しました。
四ツ角交差点前には、「長生舞」で有名な老舗の造り酒屋「久世酒造」がありますが、
その店角に旧北陸道の道標が立っています。

旧北陸道の道標が立つ四ツ角交差点 旧北陸道沿いに立つ清水八幡神社の社号標

四ツ角交差点を左折し、パピィ1通りを歩くと、左手に清水八幡神社の社号標が見えます。
当時はここに、津幡城跡の裏手にある同神社に続く参道入口の鳥居が立ち、
利家公はここから津幡城に入城されたそうです。

四ツ角交差点を渡っておやど橋に向かうと、
橋の手前右側に「脇本陣角屋跡」と刻まれた石柱が立っています。
その傍らには樹齢700年といわれるタブノキが繁り、
かつての金子家(脇本陣角屋)の庭にあったものだそうです。

おやど橋手前に立つ「脇本陣角屋跡」石柱 弘願寺から見たおやど橋

「暴れ川」と呼ばれた津幡川に架かるおやど橋は、
度々の水害で木橋から土橋、現在の橋と架け替えられてきました。
当時は河北潟から倶利伽羅の竹橋宿まで津幡川を舟で上り、
米などの物資を運んでいたそうです。

おやど橋を渡るとすぐ右手に、本陣の御旅屋(おたや)がありましたが、
明治10(1877)年の大火で焼失し、当時の面影は全く残っていません。
1,400坪(=4,500平方メートル)の広大な敷地は、3キロの塀で何重にも囲われ、
屋敷は能登末森城の本丸を移築したものだったそうです。

おやど橋から見た弘願寺 弘願寺境内でガイド中の川幡さん

街道を挟んで御旅屋の前にあるのが、脇本陣的な役割を担っていた弘願寺です。
おやど橋から眺める弘願寺は素晴らしく、本当に絵になります。
明治11(1878)年の明治天皇が北陸巡幸の際に、昼食休憩所となった由緒ある寺院です。

ところで、八朔相撲(はっさくずもう)をご存知ですか?
津幡町では毎年、全国選抜社会人相撲選手権大会が開催されますが、
安土桃山時代から続く八朔相撲を改めたものだそうです。
この八朔相撲の起源は、前田利家公が末森合戦の戦勝祝いに、
戦死した兵の弔いに、弘願寺境内で始めたとされています。

さあ、いよいよ松尾俊介さんのギター演奏です。
歴史ある弘願寺で現代音楽を聴く、まさに昔と今のコラボです。

弘願寺本堂でギター演奏中の松尾さん 松尾さんのギター演奏に聴き入る参加者

誰でも耳にしたことがある名曲、タレガの「アルハンブラの思い出」は素晴らしかったです!
松尾さんがあこがれて留学したパリ国立高等音楽院の大先輩ポンセの
「エストレリータ」は、甘くて切ない音色のラブソング!
ラストはブラジル映画「黒いオルフェ」のテーマ曲「フェリシダージ」で、
ボサノヴァの軽快なリズムに身を任せながら聴き入っていました。

演奏の合間に、松尾さんのトーキングで印象的だったのは、
ギターの背面や側面に使われているブラジル産のローズウッド材のお話です。
ワシントン条約で規制されているため、年々、
ローズウッド材を使ったギターの製作が困難になっているそうです。

明日6月30日(土)に津幡町文化会館シグナスで、松尾俊介さんのギターリサイタルが開かれます。
音響の良いシグナスホールで、ギターのピュアな響きに心癒されてみませんか?
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座学研修会 義仲講座①「誕生~青年時代」

昨日の座学研修会は、今津幡町で一番ホットなテーマ「義仲講座」です。
つばたふるさと探偵団の江口紋子さんを講師に、
今回は「義仲の誕生~青年時代」について勉強しました。

講師の江口紋子さん 義仲講座に聴き入る会員たち

1154年に武蔵国(埼玉県)で生まれた義仲は、2歳の時に
父・義賢を叔父・義朝の長男・悪源太義平に殺されます。
悪源太義平は源頼朝の兄に当たり、後に義仲は頼朝の弟・義経に殺されますが、
まさに因縁ともいうべき、親族間の権力争いに翻弄された人生だったといえます。

義仲の母・小枝(さえ)御前は秩父の豪族の娘だといわれていますが、
遊女説が有力なようです。非常に美人だったそうです。

母・小枝御前は幼い義仲を抱えて、信濃国(長野県)の木曽に逃れます。
その際、敵方の斉藤実盛が助けたといわれていますが、
この実盛と義仲は、後に皮肉な運命を辿ることになります。

義仲は2年後に生まれる巴御前の父・中原兼遠の許で育てられ、
兼遠の息子・兼平や兼光、そして巴と共に幼少期を過ごします。
早くから義仲のすばらしい天性を見抜いていた兼遠に、
文武両道を鍛えられ、義仲はたくましく成長していきます。
 
13歳で京都の石清水八幡宮で元服(成人式)の儀式を行い、
後白河天皇の二男・以仁王(もちひとおう)の命を受け、
平家追討の旗揚げをしたのは、義仲26歳の1180年でした。

この間10数年の空白については、資料がほとんど残っていないのですが、
おそらく木曽の山中で武芸に励んでいたと思われます。
そして、青春期といえば、やはり気になるのが女性関係ですが、
義仲には巴、山吹、葵の3人の愛する女性がいたといわれています。

つばたふるさと探偵団の越野昭会長によると、
当時の結婚は、男と女は別々の家に住み、男が女の家に通い、
女が子どもを育てるといった慣習があったそうです。
男は妻宅以外に、妾宅にも自由に通うことができたんですね。

巴、山吹、葵の3人は女武者として義仲と共に戦い、
なかでも、倶利伽羅源平合戦で活躍したは有名です。
本当に男冥利に尽きる男だったんですね!義仲は(^o^)

では、次回の義仲講座は「旗揚げ~埴生護国八幡宮」です。
ぜひ、お楽しみに!

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峨山禅師生誕祭

昨日、河合谷瓜生(うりゅう)の峨山園で、峨山禅師(がざんぜんじ)生誕祭が行われました。
峨山禅師が第二世として守ってきた總持寺(そうじじ=輪島市門前町)の
僧侶約50名が歩きながらお経を唱え、礼拝を繰り返しました。

峨山禅師生誕祭 峨山禅師が住んでいたといわれるほら穴

地元の人によると、禅師の家は非常に貧しく、
16歳に瓜生を離れるまで、ほら穴に住んでいたそうです。
現在でも、禅師の石碑が建つ山の斜面にそのほら穴が残っています。

峨山禅師が生まれた瓜生集落は、宝達山の南に位置します。
奥深い山里らしく、金山ご膳にまつわる不思議な伝説が残っています。

瓜生からの帰り道、上大田の河合谷の郷に寄ってきました。
この直売所は、知る人ぞ知る名水「滝の谷霊水」の前にあります。
お昼近くだったので、残念ながら名物の笹餅や笹寿司は全て売り切れでした。
朝7時の開店と同時に完売するほどの人気ぶり!次は早起きして買いに行きます!

名物の笹餅や笹寿司は全て売り切れ! 旬のじわもんを使った奥さんの手料理

その後、つばたふるさと探偵団の江口さんご夫妻のお宅におじゃましました。
江口さんご夫妻は、特に河合谷地区の歴史や伝統文化の保存・普及活動に尽力されています。
全て旬のじわもんを使った奥さんの手料理をいただきました。とても美味しかったです!

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波自加弥神社と河原市用水

昨日6月15日は『生姜の日』!
金沢市花園八幡町の波自加弥(はじかみ)神社に行ってきました。
残念ながら大祭は終わっていましたが、しょうが湯をいただきました。
全国で唯一、ショウガやワサビなどの香辛料の神を祀る神社だそうです。

香辛料の神を祀る波自加弥神社  波自加弥神社の前を流れる浅田用水

波自加弥神社は、同神社の前を流れる河原市用水の守り神でもあるそうです。
森下川から津幡川まで流れる河原市用水は、別名浅田用水と呼ばれています。
300年以上前に、河北郡浅田村の十村役、中橋久左衛門が
神託によって現れた白狐の足跡をヒントに開削したからだそうです。

中橋久左衛門の顕彰碑が建つ津幡町浅田区では、毎年8月19日に法要が行われます。

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歴史講座「なぜ津幡町は義仲なのか」

先日、津幡町井上公民館で歴史講座「なぜ津幡町は義仲なのか」が開かれました。
講師は、つばたふるさと探偵団の桑江朝英さんです。

講師の桑江朝英さん  DVD『義仲と巴』を上映

津幡町が制作したDVD『義仲と巴』が上映されました。
DVDでは、各地のゆかりの史跡を巡る「義仲と巴の物語」と、
NHK大河ドラマ誘致に向けた「津幡町の取り組み」が紹介されています。

では、なぜ津幡町は義仲なのか?

1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた源平合戦の舞台となったのが、倶利伽羅峠
その義仲率いる源氏軍を勝利に導いたとされる「火牛の計」の伝説が残るのが、河合谷の牛舞坊
そして、忘れてならないのが、源氏軍に加勢した津幡出身の勇敢な武士たちが、
都幡(津幡)小三郎隆家(つばた・こさぶろ・たかいえ)井家二郎範方(いのいえ・じろう・のりかた)
この壮絶なる戦いを描いたのが、倶利伽羅合戦図屏風(倶利伽羅神社所蔵)

大河ドラマ誘致推進キャラクター「よしなかくん」(左)と「ともえちゃん」(右) 大河ドラマ誘致推進キャラクター「火牛のカーくん」(左)と「火牛のモーちゃん」(右)

このように、津幡町は義仲との接点をアピールし、大河ドラマに「義仲と巴」の実現を目指しています。

ところで、同公民館がある井上地区は中世の井家荘域の北端の位置にあたり、
井家二郎範方はその南端の金沢市森本町辺の出身だそうです。
井家次郎範方一党17騎が平維盛軍と戦い、11度の戦闘をしかけた後、
根上の松まで追い詰められて壮絶な討ち死にをしたとされます。

同公民館の芝田悟館長によると、同講座の第2弾として、今秋に
松任・根上方面へ義仲ゆかりの地を訪ねるバス旅行を企画しているそうです。

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座学研修会「津幡の俳壇について」

先日、つばたふるさと探偵団の座学研修会が開かれました。今回のテーマは「津幡の俳壇について」です。
講師は長年、地元津幡町で俳句のすそ野を広げる活動に尽力されている中田風来先生です。

中田先生曰く、「俳句とは自分の思いを素直に詠み込む、その日にあったできごと、
喜びや悲しみ、感動を言葉につなぎ合わせていくだけで、誰にでも簡単に作れますよ。」

ここで、中田先生作の恋句を一句!  菖蒲の湯 滴るままに 抱かるる

講師の中田風来先生  つばたふるさと探偵団の座学研修会

俳人河合見風矢田我柳を生んだ風土から、津幡町民には俳句を親しむ人が多いそうです。

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津幡町観光ボランティアガイド
〒929-0393
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