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義仲関連の史跡めぐり in 富山

2015年春の北陸新幹線開通に向けて、大河ドラマ「義仲と巴」誘致キャンペーンも
いよいよ佳境に入ってきましたね♪

先日、つばたふるさと探偵団の県外視察研修で、
義仲関連の史跡を中心に富山方面へ行ってきました。
今回の研修では、倶利伽羅合戦に向かう義仲軍の足取りを追いました。

道の駅「倶利伽羅源平の郷・竹橋口」を出発! 刈安公民館の吉田館長が車中で挨拶

最初に訪れたのは、義仲軍が宿営したことを伝える石碑が立つ
「金屋西野館跡」(富山市金屋)です。
昔から「カンノマチ」と呼ばれる同地区は、鎌倉時代から室町時代にかけて
鋳物づくりで栄え、その集落跡「金屋南遺跡」が発見されています。

「金屋西野館跡」で記念撮影 「金屋南遺跡」でガイドする金屋村郷土史家の村澤さん

金屋村郷土史家の村澤清人さんによると、同地区など
古くは呉服山(ごふくやま)と呼ばれた呉羽山麓一帯で、
義仲軍は刀剣武器や軍馬、兵糧、医薬などの軍需品を調達し、
倶利伽羅に向かったとされています。

義仲軍が宿営したことを伝える「金屋西野館跡」石碑 義仲軍が宿営したと伝えられる場所

「金屋西野館跡」は、江戸中期の加賀藩郷頭役を務めた村澤長助の屋敷跡で、
その先祖が義仲の幕僚であり、村澤さんはその子孫なんだそうです。
義仲軍が宿営したと伝えられる場所は、残念ながら造成で畑地になっていましたが、
村澤さんが子どもの頃は小山として残っていたそうです。

また、道端や空き地などでよく見かけるヤスリ草(トクサ)ですが、
金屋村では義仲軍が宿営時に植えたと伝えられ、古くから
ヤスリ草で刀や剣を砥ぎ、時には止血薬として使われてきた薬草なんだそうです。

義仲軍が宿営時に植えたと伝えられるヤスリ草 前田利家が佐々成政を攻めるために築城された「安田城跡」資料館"

この「金屋西野館跡」からほど近いところに、「安田城跡」があります。
1585(天正13)年に前田利家が、富山城に立てこもる宿敵、
佐々成政を攻めるために築城されたとされています。
復元整備された城郭広場には、資料館が併設され、出土品などが展示されています。

次に、呉羽山麓の「丸山八幡社」(富山市安養坊)を訪れました。
越前・加賀へと攻め込んだ平家軍が越中に進軍するのを阻止しようと、
義仲が送り込んだ先遣隊の今井兼平が、般若野合戦を前に、
呉羽山に陣を敷いた際に戦勝祈願をしたとされる神社です。
義仲と最期まで行動を共にした今井兼平は、
巴の兄であり、義仲の乳母兄弟でもありました。

般若野合戦を前に、今井兼平が戦勝祈願をしたとされる「丸山八幡社」 般若野合戦を前に、今井兼平が戦勝祈願をしたとされる「丸山八幡社」

同神社近くには、義仲軍が軍馬で川を渡ったことから
名付けられたという「馬渡(うまわたり)川」が流れています。

続いて、同神社に隣接する「富山市民俗資料館」を見学しました。
江戸時代後期に建てられた茅葺きの農家を移築し再現した資料館は、
当時の風情がそのまま残され、必見の価値ありです。
館内には昔の生活用具や祭礼用具、農具などが展示され、
玄関脇には馬小屋、屋根裏ではかつて養蚕が行われていました。

江戸時代後期に建てられた茅葺きの農家を移築し再現した「富山市民俗資料館」 「富山市民俗資料館」内の囲炉裏があるかつての台所

次に、同資料館から呉羽山頂に続く道を進み、
「白鳥城址」の石碑が立つ城山公園に着きました。
般若野合戦を前に、今井兼平が陣を敷いたとされる山頂からは、
富山平野を一望でき、軍事上の要衝だったことがうかがえます。

般若野合戦を前に、今井兼平が陣を敷いたとされる「白鳥城址」 呉羽山頂「白鳥城址」から一望できる富山平野

この後は、待望のランチタイムです!!
「白鳥城址」の近くにある呉羽ハイツ(富山市吉作)で、
美味しく☆楽しく☆みんなでランチをいただきました。
みんなで楽しい☆ランチタイム in 呉羽ハイツ お腹がいっぱいになったランチメニューの数々

お腹がいっぱいになったところで、午後は高岡市常国に移動し、
常国旧蹟保存会の窪田さんたちの案内で、「弓の清水(しょうず)」と
「般若野古戦場跡」、そして「常国大悲寺観音堂」を訪れました。

義仲の放った矢がささった所から、清水が湧き出たという「弓の清水」 「平成の名水百選」にも選定されている「弓の清水」

「弓の清水」には、倶利伽羅を目指して進軍中の兵士たちが
のどの渇きを訴えたため、義仲ががけの下に弓で矢を放ったところ、
そこから清水が湧き出たという伝説が残っています。
現在も枯れることなく清水が湧き出ており、「平成の名水百選」にも選定されています。

倶利伽羅合戦を前に、今井兼平軍が平盛俊軍を破った「般若野古戦場跡」石碑 「般若野古戦場跡」入口に立つ義仲像

同清水から少し登った山頂に、倶利伽羅合戦の前哨戦ともいえる般若野合戦で、
今井兼平軍が平盛俊軍を破った古戦場跡の石碑が立っています。
この戦いで平盛俊軍は退却し、その頃、六渡寺(射水市)に宿営していた義仲軍は、
ここで今井軍と合流し、倶利伽羅を目指します。
その際に、前述の「弓の清水」を義仲が発見したとされています。

義仲の守り観音が祀られた「常国大悲寺観音堂」 33年に1度開扉される観音菩薩

さらに、近くには義仲ゆかりの「常国大悲寺観音堂」があります。
義仲がお守りとして持参していた観音を祀ったお堂は、
元々般若野古戦場の山頂にありましたが、後にここへ移したんだそうです。
ちなみに、33年に1度開扉される法要で、この観音菩薩を見ることができるそうです。

義仲の守り観音を祀ったお堂があった「般若野古戦場跡」山頂 今井兼平が戦勝祈願をしたとされる「移田八幡宮」

次は、高岡市中田の移田(いかだ)八幡宮に立ち寄り、
同神社の由緒によると、今井兼平が戦勝祈願をしたとされています。

高岡を後にし、最後に砺波市の義仲ゆかりの地を訪ねました。
義仲軍が般若野から倶利伽羅へ進軍中に、昼食を取ったとされる場所
「午飯岡(ひるがおか)の碑」(砺波市小島)、その近くには、
義仲軍が戦勝祈願をしたとされる川田八幡宮(砺波市高波)があります。

義仲軍が般若野から倶利伽羅へ進軍中に、昼食を取ったとされる「午飯岡の碑」 義仲軍が戦勝祈願をしたとされる川田八幡宮

この日は真夏を思わせるような暑さでしたが、倶利伽羅合戦を前に
義仲軍がたどった足跡を知ることができ、非常に有意義な一日でした。

テーマ : ☆北陸(富山・石川・福井)の情報☆
ジャンル : 地域情報

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